死生観が変わった、と昨日大きなことを言ってしまったが少し違う。
死と生に対するそれぞれの考え方。それではない。
たくさんのお墓を見てきて思ったこと。
生前、著名人として名を世間に知られていた方でも、亡くなってしまうと、小さなお墓の下で小さくなって、人知れず、さみしく暮らしているんだなあと思った。私の一方的な感じ方だが、当人にしてみればそれでいいのかもしれない。
しかし、すべてと言っていいくらい、それらのお墓はうら寂しいものだった。100年も経つお墓ならば仕方がないのかもしれない。遺族、親族も代が変わり、時代も変われば、お墓のことなど忘れてしまうのかもしれない。墓守のいないお墓はかわいそうだ。
これも私の個人的な思いだ。自分は墓守のいないお墓には入りたくないし、これからの時代、永続的にお墓をきれいにしてくれる墓守も現れないだろう。
肉体は地球の物質で構成されている自然物であるわけだから、やっぱり地球にもどしてほしい。お墓の下で狭い骨壺に入っているより、海に散骨してもらいたい気がする。
これは今日の気持ち。ご先祖様の気持ち、子孫たちの気持ちを考えればまたこの気持ちも変わるかもしれない。